札幌で色んなことをする上田龍成の「日和」を書き溜めたブログ。
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じいちゃんの話を書きます。
こんな話を書くのは、あれなんだけど、ブログなんて日記だしね。
うん。
いきなりだけど、
先月末、じいちゃんが亡くなりました。
初七日も終わって、ちょっとだけ落ち着いたので、書きます。
今年入った段階で、よくても半年と言われていました。
まあ、だから、ある程度の覚悟はしてまして。
もう数年前から地方の症状が出てたり、歩行が困難になってたり。
そんな状態がしばらく続いてて。
それでも、俺が声かけたら、認識はしているし、話は出来るし。
ただ、「これから学校か?」って言われたり。
じいちゃんの中では、大学生の俺で止まってたね。
というか、70代後半まで、
ウイスキーロックで晩酌しちゃうようなじいちゃんで。
その頃で記憶も止まってる感じでした。
そんなじいちゃんが亡くなったのは、オーギリング翌日でした。
実は、10月のオーギリング終わるまで、本当に忙しくて。
ましてや、パセリスとの合同公演からのオーギリングという、なかなかないビッチリスケジュールで。
オーギリングの打ち上げは、今年一番の開放感のある打ち上げで。
翌日、目覚ましたら、親父から電話が来てて。
もしかしてと思ったら、やはりそうでした。
幸いにも、その日はまるっとオフだったので、すぐに実家に戻れて、顔見れて。
綺麗な顔でした。苦しむこともなかったみたいです。
もしかすると、このタイミングまで待っててくれたのかななんて思います。
じゃなかったら、バタバタ過ぎて、どうなってたことやら。
話はちょっと変わっちゃうんですが、
親戚とかが集まる場で、うちの親父が嬉しそうに俺の芝居の話とかをしているのを見て、すごく変な気持ちになりました。
今まで、ものすごく反対してたので。
映像職にも芝居のことも。全部。
よく喧嘩ばっかしてました、ほんと。
あー、もうちょっとだけ、頑張ってもいいのかもなーって思いました。
たまたま、オーギリングの打ち上げで、中島や島田と話したこともリンクして。
んー。これ以上書いたら、文章とっちらかるんで、ここらへんにしますね。
最後に、うちのじいちゃんにそっくりだと親戚中で話題になった俺の写真貼っておきます。